即今只今

ある お寺のお坊さんの説法を聞かせて頂き

「即今只今」

(そっこん ただいま)

教えて頂きました。

 

今を一生懸命生きる事。

 

過去の事や未来の目標や夢よりも

今を一生懸命生きると言う事を教えて頂きました。

人として家族としての役割 その役割を

一生懸命 生きる。

 

立派な生き方でなくて ただ今を一生懸命  毎日生きていく。

 

 

 

 

広い世の中で。。

ふと、電車 バス 飛行機に乗り合わせる人を何となく 思って

例えば、電車に乗ってる人々

時間が少しでも 違うと この電車には、乗り合わせる事のない人が一緒に乗り合わせる事を考えてると

この広い広い世の中 地球規模とまでは、大袈裟ですが、少しでも行動が違ってると 少しでも時間が違うと 乗り合わせる事がない人。

乗り合わせる人は、偶然?必然?

凄いですよね〜😍

しかも、同じ車両なんて もっと凄い出会いなんですよね〜!

 

運命共同体みたいな?感じです。

でも、降りる駅は、違いますが、

それぞれの道に行く。

ほんの一駅だけでも 凄い出会い!

なんて、この頃 不思議な事を考えてしまっています!

 

この出会いは、凄いと思うようになってから、

電車の中の人をザーっと見るようになりました。(ジロジロ見るのは、失礼なので😅)

 

大きな荷物を持ってる人がいると どこか?旅にでも行くのかな〜?とか、海外からの旅行者みたいな方々を見ると どこの国から?来たのか?日本は、楽しいのかな〜?

とか、いろんな事を勝手に考えてしまう自分がいます。

 

空港に行く事が好きになった私は、空港で、すれ違う人などを見て 勝手にいろんな事を考えていたりします。

 

広い広い世の中で

電車やバスなど乗り合わせる人

空港などや道ですれ違う人

おしゃべりするわけでは ありませんが、

一期一会を楽しんでる私がいます。

 

 

 

中学生の頃の思い出

小中学生の頃の同級生の訃報の連絡が来ました😭

私達の年齢では 早すぎる悲しい訃報に

友人達と連絡を取り合った。

 

ずいぶん、ご無沙汰な友人との連絡。

こんな事での連絡は、悲しいが、

ふと、中学生の頃の思い出が蘇った。

 

仲良くしていた友人とは、何年離れていても

その頃のまま 何も気兼ねなく おしゃべり出来る。そして そんなキッカケから 近いうちに 食事でも。となり 連絡を取り合った事を失礼ながら、嬉しかったです。

 

中学生時代は、まさに 校内暴力のひどい時代で いろんな意味で思い出深い中学生時代を過ごしたせいで、その当時の友人は、とても、深い仲の友人がいます。

 

友人との連絡を取り合った時に

ある友人の人生について ふと、思い出し話したり

連絡を取り合った後(電話を切った後)は、

中学生時代に思い出が蘇りました。

校内暴力の真っ只中の中学生時代 落ち着いた学校生活を送るのが 難しかった事や

毎日、いろんな出来事があったので

ビクビクしていた時もあったようにも思います。

今、思えば、私の 今の心の心境に似ていた日々だったかも?知れません。

 

許せない人の存在に

心がスッキリしない日々を今送っている 心の心境。と その当時の心境が似ているように感じます。

 

でも、振り返ってみると

話を聞いてくれる友人がいる事が、

改めて発見出来た日だったように思います。

 

こんなに広い世の中で

こんなに地球って広い世の中で

同じ年回りで生まれた同級生 そして

小学生 中学生時代を過ごして その土地に生まれ育ち 巡り合えた友人達 地球規模からすると、小さなコミュニティで切磋琢磨した友人との出会いって 凄いし、素晴らしいと思う日でした。

 

亡くなってしまった 同級生

ご冥福をお祈りいたします

祖父 ③

前回のブログで綴った祖父

私には イヤ 私達の実家の家族にとって

いろんな意味で 印象に残る存在感が半端ない祖父でした。

祖父の存在は、いろんな意味で

私の心 イヤ家族にとっても

穏やかな心をかき乱す人でした。

 

私の心の中にある 善悪をつけるとしたら

祖父は、悪

許せない事ばかりしていたように思います。

意地悪な人で

わざと 人にイチャモンつけたり

家族が困る事をする などなど。

わがままし放題。

チヤホヤしてもらいたいから、わがままを言う人でした。

 

障害を負ってしまった祖父は、きっと

身体が不自由な自分を家族が優しくないと思い込んで わざと、意地悪な事をするような人になってしまったのでしょう!

 

だから、私の心の中に 人に対して善悪をつけてしまうようになってしまったのかも知れません。

 

祖父が他界して20数年経ちましたが、今だに祖父の存在 祖父の写真を見ると あれこれ思いが巡るのです。

 

以前に私が許せない人を綴ったブログに登場する人

何となく祖父に性格が似ているかも?と、

祖父を思い出して ブログを書きましたが、その許せない人と 祖父がしていた事が 似てると気づいたのでした。

 

祖父のような性格になってしまうのは、やはり親の影響からでしょうか?

この世に生まれた赤ちゃんは、性格の悪い子なんて1人もいないので

親や周りの大人たちの影響が大きいのでしょうね!

 

祖父の存在は、私には 良い意味でも悪い意味でも 居なければならない人で

祖父が生まれ 生きてきた証は、私達 家族にとっては、脈々と受け継がれてきた かけがえのない人なのです。

今、私が居る事、祖父の存在がなければ、私は存在しない。

なので、祖父を悪くブログで綴りましたが、

感謝しています。

祖父 ②

前回のブログで書いた祖父ですが、

そんな障害を持ってしまった祖父

もしも 私がそんな身体になってしまったら

と、考えてしまった。

私なら たぶん 心が弱い方なので

外を動き回るなんて出来なかったかも知れません。

車の運転もしてましたし、日本全国 いろんな所に出掛けていた人でした。

飛行機に乗ったり 新幹線に乗ったり バスに乗ったり 普通に出歩いて出掛けていました。

行動派の祖父。

 

私なら きっと 半分以上 引きこもりになっていたかも知れません。

 

今、思えば 行動派の祖父って尊敬するな〜。

 

確かに気が強く 頑固で 人に何か理不尽な事されたり近所の人など、普通に喧嘩をしていた人でした。(笑)

 

障害を負ってしまった祖父の心は、強い人だったのです。

祖父

父方の祖父とは、父 祖父 曽祖父は、長男として 代々 受け継がれ 一緒にその地に住まい 暮らしていました。

曽祖父は、私は 写真の中でしか 会えませんでしたが、祖父は、ずっと一緒に暮らしていました。

 

祖父の人生は、今から私が思うと 壮絶な人生で 祖父が小さい頃に 遊んでいて木に登り 木の高い所から落ちてしまい。身体を強く打ちつけ 手や足が、複雑骨折をし その当時の治療では 治らないほど ひどい怪我をしたそうです。その複雑骨折が綺麗に完治出来ず 左手を肩から切断しなければならなくなってしまったそうです。足も腰も 曲がり 歩くのも 引きずって歩いていました。

私が生まれた時 そんな身体の祖父で 私は不思議だとは、思わなかったです。

 

その祖父は、五体満足の身体だったのに、不良の事故でそんな身体になってしまった事 

あまり、話を聞いた事は、ありませんでした。

不思議ではなかったからです。

 

祖父は、そんな身体になってしまったので 祖父の母親である 曽祖母は、(曽祖母も一緒に暮らしていました)さぞかし、悲しく嘆いた事でしょう!曽祖母は、その身体になってしまった祖父を 可哀想過ぎると 甘やかして 贅沢をさせ わがままし放題させたそうです。

祖父は、そんな育て方をされたので 

わがまま 仕事もせずに 人生 その身体になってから 過ごしていました。

 

私が 小さい頃は、祖父の存在は、大好きでした。なぜ?か、と言うと 遊んで暮らしている祖父は、美味しいご飯屋さんや 遊びに関して良く世の中を知っていて いろんな事を知ってる人で おじいちゃんって凄い人!と 思っていました。いろんな所にも連れて行ってくれました。

しかし、祖父の行動は、幼い頃の私は、好きでしたが、遊んで暮らしている祖父の代わりに 祖母 父親が苦労をしている事を知らなかったからです。祖母や父 父の兄弟が、祖父に対しての憎悪を知らず 祖母 父が、一生懸命 仕事をし そのお金を自由気ままに使って 家計が火の車だった時も 祖父は、遊んでばかりいたそうです。

 

思春期を迎えた私は、そんな状況を少しずつ知り始め 祖父が大嫌いになりました。

 

私が生まれ育った家は、大家族で賑やかで

祖父からは、年間の日本の風習をいろいろ教えてくれ 大好きな家族で大好きな祖父でしたが、ある程度 年を重ねた私は、大嫌いな祖父に いろいろ 複雑な感情や 気持ちがありました。

でも、父親 母親の存在 特に母親の存在が大きく そんな祖父の壁になってくれた、父 母。

経済的、衣食住など私達が苦労せずに、育ちました。

父親 母親のお陰で感謝しています。

大家族で賑やかで そんな大家族を支えて家族をまとめてくれた 偉大な母親。

幸せな日が多かったように思います。

 

私のふるさと

大好きだけど

大嫌いな頃もありました。

 

家族の話を 友達や親友にも いろいろ話した事は、なかったな〜🤔

 

祖父の存在は、とても大きかったな〜

大好きだけど 大嫌いな人 でも

こうして 私が生きている事は、祖父が居たから。

ありがとう。

 

親友

私の親友との出会いは、小学校5年生の時

今から40数年前(ずいぶん前だな〜笑)

 

大雨の日 

その彼女とは 同じクラスだったけど

あまり おしゃべりした事がなく 挨拶程度の仲でした。

家の方角も同じような場所に住んでいながら、行き帰りも一緒になる事は、ありませんでした。

 

その大雨の日

私も彼女も学校に傘☂️を持ってきてなくて なかなか下校するのに 困り果てていた😓

私が 父親に車で迎えに来てほしいと 自宅に学校の公衆電話で連絡をして 迎えに来てくれる事になった。

ほとんどの生徒は、下校したのに

私は、父親の迎えを待っていた時

その親友(彼女は、静かな感じで あまり発言も積極的ではない人でした)が、私と廊下ですれ違った時 「あの〜 どうやって帰るの?」と、彼女から そんな会話から始まり

「親が迎えに来てくれる事になったんだ!」と、伝えたら

彼女が「もし、イヤでなかったら。。一緒に。。」と、申し訳なさそうに 私に話しかけてきた。

(なぜ、その時に一緒に彼女を積極的に誘わなかったか と いうと 父親の迎えの車は、自家用車ではなく 仕事で使っている 軽トラで来るのを知っていた私は 逆に誘うのは、悪い?と言うか こんな車だけど 良いのかな〜?と思っていたからです。)

そんな ぎこちない会話から始まり

次の日から 毎日 行き帰り 一緒に登下校し始め 毎日 2人で大笑いしながら、学校生活を送りました。

 

彼女とは、クラスも一緒だったので、毎日一緒(休みの日も一緒)に過ごす日々。

 

彼女と何度か大喧嘩した事もありました。

何日も口を聴かない日もありました。

どんなきっかけで仲直りしたか?覚えてないけど、仲直りすると 前より仲良くなり

何でも(秘密の出来事も)話しする親友と なりました。

今から思えば 大喧嘩した後は、2人とも 少しずつ 魂が磨かれ 器が大きくなるように 喧嘩をし 仲直りを繰り返して 本物の友人になりなさい。と、神様が 伝えてきたのかも?知れません。

大雨の日 あの日の天気も 神様が引き合わせてくれた 天の神様からのお告げ?だったのかな?

 

今でも あの日の出来事は、忘れる事ない 大雨の日。

 

親友になってくれて ありがとう。

そして、今でも 仲良くしてくれて ありがとう。

お互いに それぞれの生活があるので

会う時間も 少なくなったけど

大親友との出会いの日を思い出した

大雨の日の出来事でした。